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くじらと日本人。その関係は驚くほど古く、なんと、縄文時代早期(約6,000~9,000年前)には日本人は鯨肉を食べていたとされており、縄文時代中期(約4,000~6,000年前)になると、初期の捕鯨を開始し、くじらを積極的に捕獲していたと考えられています。
日本近海はくじらの回遊路にあたり、約40種類ほどの鯨類が生息しています。日本人にとってくじらは海からの恵みであり、鯨油や鯨肉だけでなく骨や皮まで、くじらの全てを捨てることなく、ありがたく利用してきました。江戸時代後期の1832年に出版された「鯨肉調味方」には、くじらの約70もの部位について料理法が記載されており、骨と歯とヒゲ以外、たとえば歯ぐきまでおいしくいただくといった記述があります。肉や油だけでなく、皮から五臓六腑まで食べ物としてくまなく利用する日本のくじら料理は、世界に類を見ない日本独自の食文化です。
さらに時代を駆け上り、昭和30〜40年代には学校給食の定番として「鯨の立田揚げ」が隆盛を誇っていました。当時の日本は捕鯨大国であり、安価で栄養価の高い鯨肉は、食卓のみならず給食でも人気の食材として、立田揚げを筆頭に、鯨の香味焼き、鯨肉の味噌煮、酢鯨、鯨のボルシチなどのメニューとなり頻繁に登場していました。
動物性のたんぱく質が豊富な鯨肉は、育ち盛りの子どもたちには欠かせない栄養源でしたが、昭和45年頃から商業捕鯨が制限されるようになり、昭和50年頃からは鯨肉が高騰し、徐々に学校給食のメニューから姿を消すことになります。
しかし今、長い時を経て2019年から日本では商業捕鯨が再開されました。失われかけていた鯨食文化を見直し、あらためて日本人とくじらとの関係性を再興してゆくべき時なのではないでしょうか。